一月 一光三尊像 本尊と脇侍をまとめて包み込んでいる形の光背もつ仏像のこと 一光三尊仏立像(金銅仏) 東京博物館 銅像阿弥陀如来及び両脇侍立像 隆台寺と新善光寺(千葉県匝瑳郡光町) *全国に「善光寺」があって類似の仏像が多くある 上記の東博にある金銅仏は 法隆寺の献納宝物のうちのひとつ 法隆寺金堂釈迦如来像 橘夫人持念仏なども 一光三尊形の光背である 善光寺式仏像について 1 一光三尊の光背である 2 本尊の右手は施無畏印 左手は刀印(彗刀印) 3 脇侍が宝冠をつけている 4 脇侍は印を結ばずに指を組んでいる 5 台座が蓮華のない臼型台座である ○ おそらく 飛鳥あたりの時期に早い金銅仏にほどこされた光背の様式なのではないか 善光寺に伝わる話 欽明天皇ころ 朝鮮の百済から如来像がもららされた 多くの人は百済の呪いと畏れたが 蘇我稲目(そがのいなめ)だけは これを大事にするように天皇に進言し稲目の宅に安置された しばらくして疫病が流行り多くの人や動物が死んでいった この仏像のせいであるとする物部大連(もののべのおおむらじ)の意見がとおり 七日七晩かけて この仏像を火にかけることになる しかし 形はくずれないことから これを川に投げてすててしまった その後推古天皇の代になり 信濃の国の本田善光という人が難波の堀江に訪れた時に 川の中から光が差し「私は阿弥陀如来だ おまえを長い間待っていた」と言う声を聞く そこには仏像があり 善光は信濃の国にそれを持ち帰り 大事におおまつりした ○ この民話からも善光寺の仏像は古い時代 百済から伝わってきた様式の形だとわかる