十一月


十一面観音菩薩像


起源 
バラモン教の十一荒神(一説にはヒンズー教の多面神)が、5.6世紀の頃に、仏教(密教)に融合したとされる仏である。
6世紀後半にできた「十一面観音神呪経」の中に、十一面観音の様相や役割(功徳や利益)について書かれている。

日本への伝来 
密教の教えよりも観音信仰として広まる

密教の十一面観音としての理解は、9世紀に入り空海が密教を日本に広めてからなされるが、
観音崇拝はすでに奈良時代(8世紀)に、密教理解に先んじて伝来した。
「十一面観音は衆生のために善法を念ぜしめ、病を取り除き、憂悩を去り、
障難、災怪、悪夢を除き、一切の諸魔鬼神の難を退ける心呪を持つ像で、像を拝むとご利益に預かれる」
と書かれた経典が、8世紀に訳され、その現世利益の部分を人々が重んじたために 観音信仰がひろまった。

   飛鳥時代・・・法隆寺の壁画に十一面観音の絵が描かれた
   奈良時代・・・聖武天皇は東大寺において十一面悔過を行う(現 二月堂お水取り)
          光明皇后をかたちどったとされる十一面観音が法華寺に作られた 
          聖武天皇は長谷寺の本尊を十一面観音とした
   平安時代・・・浄土信仰が浸透し来世への期待が高まり、那智などの霊所めぐりが盛んになる


変化観音 

十一面観音は変化観音である。
観音はもともとはひとつのものだったが、
功徳が多岐にわたるためにに、その功徳をいろいろな形で、
表すようになり、さまざまな形の観音像が作られた。
千手観音や十一面観音は、人々に理解しやすいために、
多く広まったと考えられる。このように異形をした観音を変化観音という。
後世、変化観音の区別して、変化をしていないはじめの形の観音を聖観音と呼ぶようになった。

奈良時代、聖武天皇が特に十一面観音を重用し信仰の対象とし、国分寺の本尊として奨励したために、
現在も滋賀の古寺などに多くの十一面観音が現存している。
奈良時代に流行った変化観音としては、千手観音や不空羂索観音などが挙げられる。
平安時代、観音信仰は発展して、「六観音信仰」などが生まれる
六観音は宗派によってさまざまであり、定説はない。
(大報恩寺の六観音・・・ 聖観音・千手観音・十一面観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝観音)