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毒蛇にかまれないおまじない 2.6
原始仏教(釈迦の死後弟子たちによって広められた教え)では、おまじないなどを禁止していましたが、 インド土着の宗教であるヒンズー教の宗教形態(儀式やおまじない)を取り入れることによって、 より多くの信者を獲得しようとした時期があります。五世紀あたりの頃です。密教といいます。 インドヒンズー教の神様は、仏教(密教)では明王と呼ばれました。 明呪(みょうじゅ・真実をもたらすおまじない)を操る神様が明王です。 多くの明王は怖い顔で悪を退け、真実を私たちに知らせようとしてくれますが、 孔雀明王だけは違います。 孔雀明王とは孔雀に乗ったきれいなやさしい仏様です。 孔雀が毒蛇を追い払うところから、ヒンズー教の人たちは孔雀に神聖な力を感じてきました。 「オン マユラ キランティ ソワカ」と唱えることで、毒蛇(邪悪なもの)が退散すると考えました。 仏教の人たちは、真っ先にこの神様をヒンズー教から仏教に招き入れました。 怖い不動明王よりも、やさしい孔雀明王のほうが人々の心になじみやすかったのかもしれません。 密教の初期の経典に、いち早く孔雀明王の明呪(真言)が取り入れられています。 いつかジャングルにでも行くことがあったら、このおまじないは必須アイテムであるにまちがいありませんね。
盂蘭盆会6
盂蘭盆会とは、日本の風習である「お盆」の起源となったとされるインドの仏教行事のことである。 盂蘭盆会はインドにおいては修行後の僧侶に飲食をふるまう供養であったが、 中国や日本にそれが伝播していくうちに、亡くなった人の霊を慰める行事に変化して行った。 >>語源  サンスクリット語のウラバンナが語源である。音写してウラボンエ 盂蘭盆会と漢字が当てられた。 >>伝播1 インド ウラバンナは「倒懸」という意味を持つ言葉で、それは「非常な苦しみ」と言う意味である。 インドには安居(雨季の間にお堂や洞窟にこもって断食などをして僧侶が修行すること)の後、 その修行を終えた僧侶たちに在家の信者たちが供養のために、食べ物などを差し上げる風習があった。 >>伝播2 中国 インドでは次第に仏教が衰退するが、その風習は中国に伝わり、「盂蘭盆経」という偽経が作られた。 それによって民間の間で盂蘭盆会の風習が広まった。この経典の中に 「目連が餓鬼道に落ちた母の苦しみから救うために供養をしたという伝承を挙げ、先祖の霊を供養するのが盂蘭盆会である」 と説かれていた。 >>伝播3 日本奈良時代 斉明天皇が伝来した盂蘭盆経にのっとり、飛鳥寺に須弥山をかたちどった像を設け、 盂蘭盆会を講じたのが、日本の初出である。以後、宮中の恒例公事となる。 >平安時代 七月十五日を毎年の盂蘭盆会と日とするようになった。 宮中だけでなく、諸寺でも盂蘭盆会が行われるようになり、 三界万霊を供養する風習と変化していく。 >鎌倉時代 餓鬼道におちた者に飲食を施す「施餓鬼会」をあわせて行うようになる。 >室町時代 送り火や迎え火をたくようになり、民間行事として定着していく。 >江戸時代 檀家制度が整っていく中で、ますますお盆の行事が民間の間で恒例化していく。 精霊棚を作り先祖の霊を慰めたり、その際に菩提寺の僧侶を招き棚経をするようになる。 盆踊りや閻魔講なども行われるようになった。 ※ 「お盆」の起源を盂蘭盆会とする学説と、まったく日本古来の土着の風習であるとする学説がある。
しがみつく
小さい子がお化け屋敷などにはいると 恐くなってお父さんはお母さんにしがみつきます もう絶対離れないくらいしっかりと大人の腕や体にしがみつきます しがみつく・・・「獅噛つく」と書きます 「獅噛つく」獅子が噛み付くほどにしっかりとという意味ですが  その獅子とは実は 仏像(厳密に言えば天部の神様たち)の意匠として用いられたものです 十二神将のおなかのあたりの腰紐などにしっかりと噛み付いた獣の顔があります これは ご婦人方が使う狐の毛皮の襟巻きのように 毛皮の本体の動物の顔も残したものです 天部の神様たちは 寒い地方におられたらしく 猛獣を射止めてその毛皮を衣服にしていたと考えられています そのような考えが実際の像にもデザインされ その獅子の顔のように噛み付いて離れないようなことを しがみつく・・・と言うようになったのです
秘仏
よく秘仏という言葉を耳にしませんか なんとなく知っている そんな感じの言葉です 普段は人の目に触れないで居られる仏様を一般に秘仏と呼びますが いったい秘仏とはなんなのでしょうか・・秘仏には3種類あります 1.年季にご開帳される秘仏   仏様はとても神々しい存在なので めったに人の目にふれてはいけません   厨子の中に納め なおその厨子に帳(とばり)をつけて 大事に安置されています   仏教の教えに従い 時期がめぐって 一般に公開される秘仏です 2.こねなどで拝める秘仏   特定の人にしかご公開されることのない秘仏です   宗教が権力と結びついていた時のなごりかもしれません 3.もう実際にはない秘仏   絶対秘仏と呼ばれています    お寺の言い伝えにより「あった」とされる仏様です   つまりは 時代の古い言い伝えの中にある仏像です   有名なものは 東大寺二月堂 十一面観音像          善光寺    阿弥陀如来像          浅草寺    観音像 この三体です      善光寺は「御前立ち」(イミテーション)を作ってそれを本尊としています   浅草寺 東大寺には「御前立ち」もありません 
ご開帳 
3以外の秘仏は だいたいは厨子の中に納められたり  帳(とばり)で覆われています その秘仏を私たちは時おり拝むことができます 帳を開けて 私たちの前にその姿をおあらわしになります そのことを「ご開帳」といいます
あみだくじ 
物事が決められない 人任せにしたい時に 私たちは「神頼み」をしますし 昔の人もそうでした 阿弥陀様を拝んでいる時に その光背を見て はたと気がつきました 光背の光の線とそれを支える輪の線 それをたどれば それが仏様の真意なのではないかと・・ そう あみだくじは 阿弥陀様の後光からヒントを得た まさに阿弥陀くじなのです
三べんまわって・・・
仏様の世界でも いろいろな格があります 「如来」と呼ばれる仏様は 悟りの境地に至った仏様です 「菩薩」と呼ばれる仏様は 悟りにたどり着くために修行をなさっている仏様です 菩薩様がいろいろな修行をつまれたあとで 「竜華樹」という木の周りを三回まわったそうです そののちに 悟りを開かれ如来様になったそうです 今は 三べんまわっていいことがあるのは ワンちゃんだけですね 「三べんまわってわん」は この仏説話に由来するそうです
うそも方便
極楽浄土って本当にあるんでしょうか 「お釈迦様」はそのことをご存知らしいですが わたしたち凡人にはにわかには信じられません そのために 昔 仏教をひろめようとしたえらいお坊さんたちは 極楽浄土をきらびやかなやすらぎのある場所であると わたしたちに説きました そのように言えば 人々はそこに行くために信心すると思ったのでしょう 反対に あるかないかわからないのに地獄をおそろしい火に包まれた苦悶の場であるとしました このように 実際にわからないことを いかにもあるように「教え」として伝えることを 方便といいました 方便は 布教のための手立てだったわけです 実際には説いていた人だって 方便であらわされた極楽や地獄があるかないかなんて確かめようがなかったのに とりあえず あることととしてしまったのでしょう わたしたちは ついうそをついてしまいますが そのことの言い逃れるために「うそも方便」というようになったのです 方便なら 多少のごまかしは認められるということでしょうか 凡人は教えからも 逃げ道を見つけ出すようですね・・