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法相宗  3.15更新
法相宗は唯識宗とも呼ばれ、南都六宗の一つでもあります。 南都七大寺の中では薬師寺や興福寺が、この宗派に属します。 法相宗の根本原理は、唯識論です。、 釈迦の説いた仏法から思想哲学が発展してそれを系統立てた教えです。 学問としての色彩の強い流派です。 阿頼耶識(あらやしき)末那識(まなしき)という深層意識を自分の中に見つけ出すことで 仏に近づこうとする非常に哲学的な難しい教えです。 兜率天[とそつてん]で如来になるべく修行をしておられる弥勒菩薩の教えを 無着という高僧が神通力により体得をし、弟の世親に伝えました。 世親がそれを文字に書き起こし系統立て唯識論を作り上げました。 世親から数えて三代目の玄奘三蔵法師がその教えを中国に広め、法相宗となりました。 それが奈良時代の日本に遣唐使とともに伝わってきました。 弥勒菩薩の教えが出発点ですから、法相宗の本尊は弥勒菩薩、あるいは弥勒如来です。 釈迦の入滅後、56億7000万年後に如来となられる未来仏(当来仏)が弥勒菩薩です。 (弥勒菩薩が長い修業の後に弥勒如来となります)  弥勒菩薩は長い間、兜率天で修行を重ねて  修行を終えた後に私たちの住むところに降りてこられ  竜華樹の下で如来となり説法をし   私たちを悪から救い仏道に導いてくださる と、弥勒三部経(仏説弥勒菩薩上生兜率天・仏説弥勒下生経・仏説弥勒下生成仏経)に書かれています。 しごく大まかに言えば 弥勒上生経・・・菩薩として兜率天で修行をなさる弥勒 弥勒下生経・・・竜華樹のもとで如来となる弥勒 について書かれていると言うことになります。 弥勒菩薩の修行は非常に精神的な哲学めいたものだとされ、 つまり法相宗の教え自体は難しいですが、それは僧たちが学ぶべきもので、 民間では、上記のような救済の仏としての弥勒信仰として法相宗は広まっていきました。
密教の誕生
紀元前5世紀 仏教は釈尊が存命中に広めた教えです。弟子たちは釈迦の教えに従い、 出家をして修行をしたものだけが悟りをひらけるとして、修行に励みました。 とても厳しいものだったので、一般の人々は出家できずにいたので、悟りは人々から遠いものでした。 ごく一部の人しか悟りを開けないという、このような形の仏教を小乗仏教といいます。 紀元前1世紀 在家の人々は、それでも少しでも仏の慈悲にすがろうと、仏像を拝むようになりました。 また菩薩の力を借りて、みんなで一緒に悟りへの道を歩もうとする考えも現れてきました。 これを大乗仏教といいます。この考えは多くの人の心を捉えて、仏教は広まっていきました。 小乗仏教が修行(自力)としての信仰であるのに対して、大乗仏教は慈悲(他力)にすがる祈りの信仰です。 紀元2−4世紀 このころになると、仏教は土着の宗教の神様も取り込んで発展していきます。 執金剛神はシルクロードをとおってやってきたヘラクレスだとされていますし、 梵天はヒンズー教の最高神ブラフマン、帝釈天は土着神インドラです。 ほかの宗教の神様を守り神として従え、大乗仏教は隆盛します。 紀元5−6世紀    大乗仏教は他力本願で、供養やお布施をすることでご利益が得られるという考えでした。 つまり、インドの財力のある商業階級の人々によって仏教はひろまり、支えられていました。 5世紀に入り時代が次第に変わり、商業階級の人々が衰退していくに従い、 農業階級を中心に根強く残っていたヒンズー教が、再び人々の心を捉えていきます。 それではいけないと、改めて仏教の教えを作り直して信仰を広めようと言う動きが起きました。 その教えが密教です。密教は仏教復興のために作り出された教義であるともいえます。 密教はヒンズー教からさまざまなものを取り入れました 変化神  ヒンズー教の破壊神シバ神に代表されるような多面多臂の神様の形です。 多くの手や多くの顔はいかにも私たちをもらさず救ってくれるようなイメージを与えてくれます。 十一面観音などはヒンズー教の流れを引いた仏様なのでした。 真言 陀羅尼 ヒンズー教でよく使われるおまじないのことです。私たちはよく呪文といいますね。 金剛界の大日如来の印は智拳印ですが、あれはまさに忍者の呪文を唱える時の手の形です。 護摩をたく インドの火の神様ホーマーに火をささげ、無病息災を願う風習も、密教は取り入れました。 これは、実際どのように信仰したらいいかという修法(宗教的儀式)となっていきます。 それまでの仏教の教義の見直しをしつつ、ヒンズー教の多くのものを取り入れて密教は誕生しました。
観無量寿経
唐の僧善導によってこの経典の解説書(観無量寿経疏)が書かれました。 その解説書によって観無量寿経は流布した。四段からなります。 玄義分 ・・・ 経典の要点をまとめたもの 序文義 ・・・ 経典の序文の解説 定善義 ・・・ 浄土に往生するまでの十六観のうち十三観の解説 散善義 ・・・ 残りの三観の解説 序文義 化前縁  禁父縁  禁母縁  厭苦縁  欣浄縁  顕行示現縁      定善義(十三観) 日想観   日没を見ながら極楽浄土を観ずること 水想観   水と氷の美しい感覚で浄土を想うこと   地想観   極楽浄土を想うこと 宝樹観   宝樹を観想すること 宝池観   極楽にあると言う八つの池を観想すること 宝楼観   五百億あると言う浄土にある楼閣を想うこと 華座観   仏の座を想い そこに百宝の色彩を観ずること 想像観   阿弥陀のご本尊を想うこと 真身観   阿弥陀に内在する光に包まれ その心に入り込むこと 観音観   脇侍の観音を想うこと 勢至観   脇侍の勢至を想うこと 普往生観  心が浄土にいるかのごとく観ずること 仏の声を聞くこと 雑想観   今までのすべてを思い起こし 心に浄土を置くこと 散善義 (三観)   九品来迎について書かれている >>補足 観無量寿経と往生要集 中国から伝わった教典観無量寿経に、極楽浄土について説かれています。 それは釈迦如来の教えとして著されています。 極楽には九つの段階に分かれていてそのどれかに人々は往生するという考えが記されていました。 平安時代になり天台宗の僧源信が往生要集を書いてその極楽往生の考えを定着させました。 阿弥陀の仏国土である極楽浄土に往生できるように念仏を唱えることを説いたのです。 その考えが浸透して、鎌倉時代に至り、法然によって浄土宗が開かれることになります。 (中国にも浄土教はありましたが、日本特有の土着的な宗派として浄土教が広まりました)
小乗仏教と大乗仏教
仏教にはいろいろな宗派があって、いろいろな教えがあります。 ゴーダマシッダールダが悟りを開いて、仏陀となりました。 その道のりは大変な修行を必要としました。 釈迦のの行った仏陀になるための修行は、ある特定の人しか、会得することができないものとされていました。 厳しい戒律の中で多くの知識を必要としたからです。 そういった修験者的な修行を必要とするもの小乗仏教といいます。 それに対し、だれだって御仏を拝めば、釈迦のように仏陀への道が開かれると考え出す人たちが現われました。 一部の人のものではなく、人心救済を旨とする仏教、みんなの仏教であるとするのが大乗仏教です。 皆で大きな乗り物に乗って悟りの道を行きましょう・・という意味でこう名づけられました。 この教えが、今わたしたちがいわゆる仏教といっているものの出発点です。 日本に入ったのは、この大乗仏教で、はじめは観音信仰(観音様を拝むことで救われる)などが中心でした。 その後、日本独自の展開をして 南都六宗 浄土教 などなど多岐にわたっていきました。 ちなみに 私たちの知っている仏教は大乗がほとんどですが、 タイは小乗仏教です。だから僧侶はすばらしい存在としてあがめられます。
華厳経
唐より7世紀の日本にはいってきた経典です。大乗仏教の考えにのっとっています。 釈迦如来など、多くの色身を取りまとめる宇宙観を表現したお経です。 インドで派生した経典です。 宇宙には大きな香水海という海があり、そこから一輪の大輪の蓮華が咲いています。 その葉の一枚一枚にもまた、宇宙がありそれぞれの香水海がひろがっています。 そこからまた蓮の花が咲くというように、幾重にも宇宙真理につながる空間が重なり合っています。 このように天空(真理)に向けて上昇する重層した世界観を示しています。 その香水海のひとつに 私たちの生きている須弥山世界があります。 須弥山世界は、須弥山という仏の世界(宇宙)に通じる高い山が中心にあります。 その山の周りには山脈が広がり その周りは海です。 海には四方に4つの島が浮いていますが、そのうちのひとつ、 南に位置する贍部州(せんぶしゅう)に私たちは住んでいます。 そこで釈迦が説法をして、私たちを悟りに導いてくれています。 大宇宙の片隅で釈迦の導きにより、宇宙の真理にたどり着こうとする教えをといたのが華厳宗です。 その宇宙真理をわかりやすく仏としてあらわされたのが 盧舎那佛です。 ・・・・ 盧舎那佛を頂点として多くの仏陀が存在するという宇宙観は、 唐や奈良時代の為政者たちにとって 中央集権型の国家体制を作り上げるのに かっこうの道具となりました。 多くの国分寺が無限に広がる蓮の花のごとく各地に作られ、その頂点に東大寺を置いたのでした。