京橋 渋谷 見て歩記 乱 雑記


絵の好きなともだちと 美術館のはしご
先週は 親子ほども年の離れている仏像の師匠と
そして今日は 幼馴染と・・
いろいろな人と見に行く美術館は楽しい
1人で行くのも好きだけれど


こわいこわいこわい

今年の夏よりも暑い残暑の中 東京駅からブリヂストンに向かう
もう友人は先についていた
数年前この美術館で 監視のバイトをしたことがある
そのときとずいぶん趣が違う 改装をしたようだ
小さい美術館だから 特別展といっても所蔵の入れ替えもかねている

「こわいこわいこわい」とうたった展示群はあまり迫力がなかった
ケンタウロスのついたアンフォーラが並ぶくらいだから ちょっとこじつけか
ピカソは本当に多くの絵を描いたんだなと思う
化け物みたいなへんな 生き物がまんがちっくでおもしろかった

常設のほうは展示が落ち着いていてよかった
小さい部屋ごとに色わけされていて それに合う絵がならんでいた
壁の色がけっこう強烈で おもわず 受付で色のことをきいてみた
案の定 簡単に塗り替えられるもので展示にあわせて変えていくとのことだった
壁自体を塗り替えていくというのは 発想自体がおもしろいなぁとおもった
展示物とうまくマッチするとほんとうに おしゃれな素敵な感じがする

フリーダ カーロ

結局 ぎりぎりになってしまった
図録でしか観たことのなかった色 形 波動・・
もっと情熱的な激しい絵なのかと思っていた
今回きている絵が おとなしいタイプのものだったせいかもしれない
画面を完璧にしあげることに精魂込めて 絵が描かれていた
描かれているものは  どんなに自分が夫と自分を愛しているか 
そのことそのもの そして 彼女自身そのもの 


彼女の絵をみているうちに 子宮を思い出していた
子宮で感じるのでなく 子宮を感じること・・
三回 お産を経験した 赤ちゃんがおなかからでて 後産がやってくる
3キロほどの赤ちゃんと羊水を抱えていた子宮は急激に収縮していく その感じ
おなかの中で 絞るように子宮がちぢまっていく
まわりの内臓をひっぱるようにちぢまっていく
その感覚は 陣痛のように定期的におそってくる
痛かったかのかな・・おぼえていない
ただ 内臓をこんな劇的に感じることはないだろう
そうおもいながら 子宮が縮まる感覚を感じていた

子供が生まれれば それは自然の流れの中のあたりまえのこと
子供がどんなに小さく流産しても これらの女性の体の変化は現われる
役目をなくした子宮 ダカーロの流産の時の気持ち
体を通して感じる自分の感覚を 新しい命に結び付けられない絶望感

ダカーロは事故で 子宮を鉄骨で貫かれた
流産がその事故と全くの関係がないとはいえないだろう
その痛みが その体と心の痛みが 彼女の生そのもので
フォークのささったパパイヤから涙を流させるのだろう

彼女の運命や生き方が動そのものなら
彼女の描く絵は静そのもののように私は感じる
いろいろな激情を心に刻むように モニュメントにするように・・

フリーダ カーロ 外伝

わたしに ダカーロが一番影響を受けた画家だと教えてくれた絵をものす友人に
わたしは何回か 一緒に見に行く打診をしたが 案の定 やんわり断られていた
でも 結局は 別々に同じ日にいくことになった
わたしが ダカーロ展から帰った夕刻 メールがはいった
「今日 やっとみてきました」 彼女の感想は 私と似ていた・・
とにかく 丁寧に計算づくで描かれているということ
生き方とは全く違うこまやかな緻密さが感じだれたこと
彼女はいつも「描く」側の感想を私にくれる
どれだけダカーロが基礎をかさね 画面を構成したかがわかると・・
わたしはいつもただ見るだけだけれど 彼女は画家として対等に見ている
そのことが わたしにない感じ方を伝えてくれる それがおもしろい
そして 自分もはまだまだだという友人の まじめな姿に
わたしは またかっこいいなぁと思ってしまう

昨日の東京の雷雨の中 図録と携帯が濡れないように
自転車を走らせた彼女の姿がメールから伝わってきた
雷雨にダカーロのはげしさを体験したよと苦笑する彼女が 私は好きだ


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