GERTI SCHIELE 妹への思い 

シーレは物心つくと もう 絵を描いていたというような子でした
母はそんなシーレを理解していましたが 鉄道官吏である父は 快く思っていませんでした

小学校に上がっても彼は そこになじめず 「強制の時と生命のない学校」と後述しています
このころ 父が梅毒によって脳を犯されて発狂死します

母は彼に油絵の道具を与え 彼に画家としての道を与えました
シーレは短い生涯に数回引越しをしますが 必ず等身大の大きな鏡を新宅に運び込みました
その鏡も 母が買い与えたものでした

ウィーンアカデミーに入学しますが やはり 彼はその保守的体質になじめず
ウィーン分離派を展開していたクリムトに出会うことになります
幼い日 彼はなんでも目に映るものを描いていきました

そして いつもシーレの隣に妹のゲルティがいました

いつか苦しみになったとしても 
幼い二人が心から無心に 体も寄り添ったのは
自然の流れの中のことだったのかもしれません

シーレは四季のうつろいに感動するように 
妹ゲルティの成長をまぶしくみつめていたのかもしれません
GERTI SCHIELE ゲルティは 兄のより4歳年下 いつも絵ばかり描いている兄のそばで すごした ある時 部屋に入ったなり出てこない親密な兄と妹を心配して 父は鍵をこじ開けて部屋に入った ふたりは ただ無心に 撮った写真の現像をしていた しかし 兄は 野の花をみつめるように 機関車をみつめるように 妹をみつめた 妹のすべてをみつくすのは 兄にとっては自然のことだった 描く少女の面影は 幼き日のゲルティ 夢の中の少女 父の死後 兄17歳 妹13歳の時 父母の新婚の地であるトリエステの港町に 二人で旅をする 15歳のゲルティ 高貴な肉体には高貴な魂がやどります このことはゲルティについてもあてはまるでしょう 彼女は太陽の光がなくても 日々熟していく果実です 自分の意思で 熟していくのです 1913 母へあてた手紙より ぼくは エロティックなデッサンや水彩画を描いたことを否定はしない しかしそれらは 常に芸術作品なのである ぼくはそのことを断言する 芸術とエロティシズムについての理解をもった人は ぼくの発言の正しさを 積極的に理解してくれるだろう 1912 獄中日記より