エッシャー展 乱 雑記


先日 ハウステンボス所蔵のエッシャー展をJUNE様にご紹介いただいたけれど
出不精の私は横浜まで行くのが億劫で行き渋っていた
今日友人に誘われて横浜に出て そのついでにエッシャー展を見てきた
数年前 エッシャーの好きな長男を連れて 
エッシャー館があると言うハウステンボスに行った
私は当然 エッシャーの版画があるのだろうと思ったのだけれど
ただのパビリオンで いくつかの版画にちなんだオブジェがあるだけだった
その時 所蔵の図録は買っておいたのだった

今回図録の中の実物を観て やっぱり本物の持つ力はすごいなと実感した
私はやはり木版が好きだと再認識する
インクの乗り具合のやわらかさやそれを引き立たせる鋭い版画の線が
観ていて とても心地いい

制作年代順にずら〜〜っと並べられた版画は まさに壮観だった
観ていて気がついたのは 彼の版画には年代がないということだった
おかれた人間関係や時代によって左右されない ゆるぎない自己を感じた

エッシャーの手紙の抜粋などをいくつか読んだことがあるが
孤高の人・・というイメージ 冷ややかなイメージ をうけてきた
実際 製作途中だと家族の私語も気になって怒ったりするようだったし
とにかく 人といると疲れてしまうというようなことも書かれていた
すごく偏屈な変わり者であったようにも感じられていた

でも 三男の誕生を知らせるカードとか年賀状とかの展示を見た時 
ものすごく細やかな愛情のある人だと 私は感じた
そういったものを 言葉や態度で示すことが下手な人だったのだなと思った

今回何よりの収穫は メスキータの版画を見られたことだった
彼は木版画家で エッシャーの師であった
エッシャーは彼の肖像写真をアトリエの食器棚にいつも飾っていたという
メスキータは1944年1月に家族とともに ドイツの強制収容所に入れられた
エッシャーは 主のいなくなった家で
ドイツ兵に踏まれていた多くの版画を拾い集めて持ち帰り 師の帰りを待った
2月にはすでに帰らぬ人となっていたのだった・・・ユダヤ人だった
第二次大戦後すぐに エッシャーはそれらの版画のすべてを
アムステルダムの市立美術館に寄贈したのだった

今回初めて 私はメスキータの版画を見た
エッシャーのような鋭さはないが やわらかい暖かいタッチの版画だった
でも デッサン力などはとてもしっかりなされているように感じた
おおらかな人だったのではと思わせる作品群だった

エッシャーがアトリエに飾っていたメスキータの写真は
版画とともにエッシャーが持ち帰った唯一の写真だった
エッシャーの師への思いが伝わってくる逸話である

エッシャーは 自分は世の中で起こることになど興味がない・・
と言うようなことを 人に宛てた手紙の中で書いているが
私は きっとどこか心の奥深くに 時代にタイする怒りや悲しみを沈めて
そういったものを「彫る」という行為に昇華していたのではないかと思う



1970年2月22日発売の少年マガジンにやっと出会えた
メスキータの版画と同じくらい うれしい出会いだった

力石徹と矢吹ジョーの戦いのなりゆきが あの頃の毎週の私の楽しみだった
二人の上がるリングが一番盛り上がっていた三週・・
その三週のマガジンの表紙がエッシャーの絵だと知ったのは つい数年前だった
もう一回 その少年マガジンを見てみたい!
川崎の美術館にそのマガジンが所蔵されているところまでは調べたが
ついついのばしのばし・・・そしていつしか見に行きたいことを忘れていた
今回の展示で思いがけず その三冊で出会えて本当に
声が出てしまうくらい 一人で感激興奮してしまった・・・・
でも残念ながら 「あぁ これこれ」と思うような感覚ではなかった
「こんな表紙を手にしながらジョーに恋焦がれていたんだ」と言う懐かしさ・・
表紙に並ぶ「無用の介」とかなつかしい漫画の題名がさらに郷愁を運んできた

後年角川書店がエッシャーの絵をブックカバーに採用したり
エッシャーブームが到来し 私は1977年のエッシャー展に足を運んだのだった
エッシャーの版画を見て すごいなぁと思ったのと同時に懐かしさを感じたのは
きっと やっぱり少年マガジンの表紙のせいだったのだろうなぁと
今になって思ってみたりしている
 
 



 
 




 
 








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