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The nude in Gender U
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はじめはジェンダーとか 難しいことは考えていませんでした
ただ 見ていて気持ちのいいヌードと そうでないものがあるのを漠然と感じていました

ひとつの絵の中に いろいろな視線がある
描いている画家の視線 絵を見ている人の視線 描かれている人の視線
そして それらを見ている 私の視線

私の視線は どれに一番近いのだろう・・・・

そう考えているうちに ジェンダーを基盤にして考えていくと
もつれた糸がほどけていくように いろいろな視線がはっきりしてきたのです





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出発点はこの絵でした
ロートレックの描いた絵です
今までに見たどの裸の女性よりも どうどうとしていて
何かを訴えているように感じました

ロートレックは娼婦の生活を描いたり 働く女性をたくさん描きました
その視線は、目の前にいる女性を女性性をこえて
人間として女性を捉えだしているように私には感じました
この絵は museum of rainbow T で取り上げました
背中の女性を幾つか集めたコンテンツでした
考える背中というタイトルにしました
1999年に作って、今、少しなにかがわかった気がしています

少しです
................................................................................ The nude in Gender T では「見られるものとしての女性」が多く描かれた絵を並べました ここでは 印象派以降の それまでにない女性の捉え方をはじめた絵を紹介したいと思います これはルノアールの絵です 彼はもう少しふくよかな女性の絵を多く描いています 私は この絵くらいの女性のヌードが好きなので これを挙げました とてもみずみずしくて 肌がとてもきれいです ルノアールの中で数少ない好きな絵のひとつです この若い女性は モデルになっていることなど気づいていないかのように 楽しそうにはなやかに そして可憐に描かれています ルノアールの女性を大事に思う気持ちが 伝わってくる気がします でも 彼の描く女性たちは 彼の「理想の女性像」であって 彼女たちが 何かを主張しているようには感じられません .................................................... これは 多くの踊り子を描いたドガの絵です 入浴をして足を拭いている女性です ドガは ロートレック同様 働いている女性も多く描いています アイロンをかける女性の絵は有名です この絵はルノアールの女性のように 明るく可憐ではない 一生懸命 生活をしている感じがあります これから 踊りの稽古に行くのかもしれない 仕事場に行くのかもしれない ドガのバレーの踊り子の絵は 本当にきれいですが 当時の踊り子とは 日本の舞妓さんのような存在で 芸を磨いて いいパトロンをつけるのが その目的でした 当然 本人の目的というよりも 時代が要求した彼女たちの役割だったのです ドガは そういった環境にある女性を「買う」ものとしてでなく 一生懸命生きている「人」として 感じ 描いていったのだと思います .................................................... これは 私が嫌いなマネの描いた「入浴する女性」です 私は印象派が嫌いなのですが とくにマネは嫌いです マネの描く女性は なんだか怖いです この女性も なんだか 描かれていることに怒っているようです それに おしりやおなかの肉もたるんでいて  けっして ルノアールのような「女性礼賛」の絵ではない ・・・嫌いだったのですが ジェンダーからの視点を以って見ると マネの描いた女性は 「描かれる女性」をはなれて 「描かれることを拒む女性」であるということに気がつきます 絵としては 好きではないけれど そういった女性の捉え方をしたマネのすばらしさに感嘆してしまったのです 「男性の思い描く女性」ではなく生身の女性を マネは見ていたのでした 女性を男性の所有物のように それを当然のように思っていた時代が ずっと続いていたのです そういった固定感から離れた視点を持ったマネの絵は 当然 当時の人々の非難を浴びました これは ティツィアーノの描いたビーナス以来の 「美しい女性」のお決まりのポーズをとった絵です このポーズの絵は 世紀を超えて ほんとうにたくさんあります どの女性も 誘惑的な顔をしていたり うつろな表情をしています 女性性そのものの象徴として描かれています でも このマネの女性はどうでしょう こちらをじっと見ていて 色香を感じさせる女性とはちょっと違います ・・まぁ好みもあるでしょうが・・ まるで これから行われることに対して 体は許しても 心までは明渡さないぞと言っているように 私には感じられます この絵は それまであたりまえのように描かれてきた「ビーナス像」から逸脱するものとして酷評されました この絵は もっと奇異です 今では考えられない光景です 実際にこんなピクニックがあったのでしょうか まぁ 真偽はともかくとして ジェンダー的に「絵」を解読するなら 男性は服を着るもの 女性は裸でいるもの という図式が見えます やはり女性が 絵の中からこちらを見ている この構図が 当時の上流階級の男性たち(つまり社会)に不快感を与えました 女性は下を向いて 男性のもとで恍惚としていたほうが 都合がいいのです 何世紀にも渡って 女性は男性の目の楽しみのために描かれてきた その「絵」の中に男性を描いたところに 時代に対するマネの視点があります 男性が女性をどう捉えているかが この絵で一目瞭然になっているのです そして 絵の中の彼女はこちらを見て毅然としています この絵は男性社会にとって 自己主張をはじめる女性が描かれている点で 不都合な絵だったのです 彼女は こちらに向かって 何を言っているのでしょう・・・ .................................................... 女性は男性にとって、美しく従順なものでならなければいけなかった * 上に並んだ左の絵は 踊り子が本当にきれいに描かれている有名な絵です でも しばらく見ていると 左端に顔のない男の人が立っているのに気づくはずです まだ絵を ただ「きれいだぁ」と思って眺めているだけの子供の時 この絵を見ると「赤い靴」を歌った時の悲しい気持ちになったのを覚えています なぜだろうと 深く考えもしなかったけれど この絵を見ると悲しくなった 横浜から遠くの国に連れて行かれる女の子と この踊り子が なぜが切ない思いとともに 重なったのです 今ならすこしわかる気がする この左の男の人は 彼女のパトロンです  踊りが終わった後 彼女をすぐ自分のもとにもどそうと 舞台の袖で待っているのです ドガの絵には こういった男性が一杯描かれています ドガはきれいに踊る女性の 踊りだけでなく その運命も描いていたのです 懸命に生きる だけどすこし悲しい彼女たちの運命を 小さかった私も感じていたのかもしれません * もうひとつの絵はルノアールの有名な絵です ロートレックやドガの描いた社会の底辺にいる女性ではありません 多くの画家によって このような きれいな婦人や子供の絵が多く描かれました でも なぜ画家は彼女たちを描こうとしたのでしょうか また誰が そういった絵を注文して描かせたのでしょうか 自分の妻や恋人をきれいに飾り 社交界に送り出すことは  当時の男性のステイタスでもありました そういった社会背景が美術界に大きな影響があることは否めません オペラ座などで 着飾った彼女たちはパトロンつきの踊り子を見ることもあったでしょう この絵では 彼女はきれいなオペラグラスを持って 観劇を楽しんでいるかのようです でもなんかちょっと かげりのある顔をしています では 後ろの男性は 一体何をしているのでしょう 彼は こんなきれいな女性を連れているのに 踊り子の踊りを見に来ているはずなのに  会場にきている 他の奥方や令嬢の品定めをしているのです 踊り子たちと違った意味で 彼女たちはやはり見られる存在 所有される存在だったのです ずいぶん勝手に絵を解釈しているなぁ・・・・と おもしろくない気持ちになった方がいたらごめんなさい でも まったくすべての視点ではないけれど まったくのうそであるともいえないことなのです 時代背景をあわせて考えると ただきれいだなぁというだけでなく 違った「絵」がみえてくるのです .................................................... 下の二つは フランスの女流画家です 左がモリゾー 右がカサット です 彼女たちは持ってうまれた環境の中で 画家になっていきました モリゾーはモネに カサットはドガに師事しました 印象派の女性画家として大事な位置をしめている二人です 今まで 絵を描くことは男性の仕事でした 彼女たちは 自らの目と手で 女性を描いていこうとしました 「描かれる女性」をやめて「描く女性」なった女性として 彼女たちを捉えることができるでしょう これはカサットの描いた「オペラ座にて」という絵です 上のルノアールの観劇の絵と比べてみてください この女性はきらびやかに着飾るのをやめ ただ観劇を楽しむためだけに そこにいます 観劇するのに きれいな洋服は 確かに必要ない気がしてきます ・・まぁこのみにもよりますが・・ とおくで 彼女をオペラグラスでのぞき見ている紳士がいます どちらの絵に描かれている男性も 考えていることは同じようです はい どちらがはなやかで女性らしいかといえば ルノアールの絵に軍配が上がりますが どちらが元気かといえば カサットの絵の女性の方でしょう どちらが鼻持ちならない女か・・・・といってしまえば それまでですが そういう見方が ジェンダーでは批判されるわけでして・・・・ぶつぶつぶつ・・・ ヌードから少し離れたので またもどりましょう  .................................................... 二回に分けて紹介してきたジェンダー的な絵画読み取りは  いろいろな本や講義を参考にして 私なりに それらをまとめてみたものです シーレのこの絵は トリビュートがない分 ヌードそのものの訴える力がとても大きい気がします 描くものと描かれるもののふたつの視線がぶつかり合っている感じがするのです シーレは 何をみつめていたのだろうか The nude in Gender V 
.............................................................. piture introduction Roiuse la toilette .......... Henri de Tourouse Lautorec:1889:67x54 The Bathers ................. Renoir, Pierre-Auguste:1887 After the Bath .............. Edgar Degas:1834-1917 Woman in a Tub............... JEdouard Manet:1832-1883:1832-1883 Olympia ..................... JEdouard Manet:1863 The Picnic (Le Dejeuner sur l'Herbe) .... JEdouard Manet:1863 The Star .................... Edgar Degas:1876-77:pastel on monotype The Dance in the city ....... Renoir, Pierre-Auguste La Loge .... Renoir, Pier.....re-Auguste:1874 A Woman at her Toilette.......Berthe Morisot:1841-1895:1875 The Sisters ..................Mary Cassatt:1845-1926:1886 At the Opera .................Mary Cassatt:1845-1926:1880 back museum 1998 千野香織「美術史の作られ方 その問題点」講義 2001 有川治男「新しい西洋美術史 絵画を見る眼」講義 参考