美しさは祈りの中に

救世観音

この像は 法隆寺が再建された その100年後に藤原氏によって建立された
通称「夢殿」と呼ばれる東院に安置されている
以後 1000年 白い布にかぶされたこの像は 秘仏として 人の目に触れることはなかった
明治時代になり 日本の伝統美術に興味を持ったフェノロサにより 秘仏はその封印をとかれた
多くの法隆寺の僧は 秘仏に触る事による天変地異を畏れたが 何もおこらなかった







これが 救世観音である

あくまでもふくよかで 笑みをたたえたこの面持ちに
フェノロサは東洋の神秘 アーカイックスマイルの真髄と褒め称え
モナリザに並ぶ 逸品と称した

が しかし どうだろう・・・これは 仏像に見えるだろうか
おもわず 手を合わせたくなるような 遠い世界に導いてくれるような
そういった敬虔さをもちあわせているだろうか



今でも この像は 年に一回しか拝観することができない
わたしは 若い頃に 実物を見にいったけれど とても「祈る」気持など起きなかったし
本当に怖かった

そして その直後「隠された十字架」という本が出版された
その本を読んで わたしが怖かった理由がわかった・・そしてますます怖くなった







法隆寺は聖徳太子鎮魂の寺である

奈良時代の政権者は 度重なる火災 疫病は 太子の怒りであると考えていた
何故そう考えたかといえば 太子一族から政権を奪い取った曽我氏は
陰謀策略を重ねて 太子の血縁者を ことごとく抹殺していったからだ
そのために なくなった聖徳太子の怒りがさまざまな災いを起していると考え
それ以上の太子の怒りを起こさないために あらゆる手立てをして 彼の鎮魂につとめたのである


「隠された十字架」では このことの証明がいろいろな角度から 綿々となされているが
わたしは やはり 仏像が好きなので この像の説明に釘付けになった

最初にあげた夢殿 このような形は 中国ではお墓を意味するもので 仏像を安置する建物ではないこと
作られ方が異様な短期間であり 内刳りがおおきいこと
観音像は普通もち得ない 舎利壷を持っていること など
いくつかの実証がなされてはいるが 1番 私にとって説得力のあるものは 下の図だった



左は 仏像シリーズの一番はじめに紹介した百済観音 右は今回の救世観音である
ほぼ 大きさは等しく 姿も似ている・・・
が しかし 決定的にちがうのは 光背のつき方である
どんな仏像も 光背は 足元の台座から支えを伸ばして 仏像の頭部まで持ち上げられている
しかし この救世観音は まさに 頭の後で 打ち付けられているのである


これは 仏像ではない

蔓延する疫病を早く押さえたいがため 早急につくられた太子像にとどめを刺し
布にくるめて 「秘仏」として 封じ込めてしまった・・・



ひとりの人の魂が 自らの子孫を憂い現世に災いを起すことを 人々は心から信じ おそれていたのである

まだ 木にも草にも 命が宿ると考えていた時代の事であった





わたしは モナリザの中に「死」を見ます
その意味においては フェノロサがこの像をモナリザと同等に置いたのは 納得がいきます
また 高村光太郎は この像の彫り方 そのすさまじさに 感嘆しています

「負」に向かう力であっても やはり 人の作った物には違いはない
「負」の心であっても 人の心のかよった物であるならば 訴えかける力があるのでしょう
いろいろな意味で これだけの怖さを 人々に与えたこの像は やはり 「逸品」の中の一つという事なのでしょう

そして 祈りは美しさの中に…
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