光太郎と賢治 乱 雑記


早い秋の東北に行った。
田んぼの稲は穂を実らせて、とんぼが飛びかって、さわやかな秋。
その中で、賢治と光太郎に会った。

賢治の記念館はとても立派で、色々な方面から賢治を知ることができた。
原稿用紙の上にかかれた文字は、とても穏やかで、おおらかで、
活字で知る賢治よりも、ずっとわかりやすく 心に染みてきた。
今まで苦手だった賢治が、少し身近なものになった。
「アメニモマケズ」の詩が、時世のものだとは知らなかった。
優等生のようで、まじめで、かっこうつけたような、そんな感じをもって、
近寄りがたい気がしていたけれど、手帳に書かれた文字を追って、この詩を読んだら涙が出た。
心から滅私の心をもち、それを実行した賢治の生き方が、悲しくまぶしかった。

賢治は自費出版で「阿修羅と春」「注文の多い料理店」を出したが、
その二点を光太郎夫妻に見てもらうため上京したことがあるらしい。
智恵子はいたく「注文・・・」が気に入ったそうだ。
「アメニモマケズ」の句碑を彫ったのも光太郎であったり、何かと関係があったようだ。

賢治のもつ宇宙観人間観は、ちょっと私には理解できない。自己犠牲の精神は私には程遠い。
それよりも、どこまでも自分を見つめ内省していくことで宇宙にたどり着く光太郎の感性のほうが、
私には受け入れやすい。光太郎の情熱を秘めた静謐な生き方は、私は好きだ。

今回「薄命児」という、塑像の存在を知った。
写真でその存在を知った。現物があるのかもわからない。
浅草のどこかの小屋で曲芸をする少女、何か失敗をしたのか顔を手で覆いうつむいている。
彼女をかばうように、寄り添い天空をきっと見上げる少年。
薄命・・その言葉とは裏腹に力強い生命力と、精神の深さを感じさせる作品と感じた。
どうしても実物を見てみたい作品の一つに加わった。

もう一つ・・智恵子の紙絵の遺稿を見た。
その紙絵のわきに、光太郎の書が添えられている
「きちがいと いふおそろしき言葉もて 人は智恵子を呼ばむとすらむ」

智恵子がなくなったことを、光太郎は草野心平に、銀座のバーで話したと言う。
大きな体が小さくなり、影がないようだったというようなことを、新平は後に述懐している。

何年もたって、光太郎は山荘でひとり、智恵子の作った梅酒を飲んだ。
満月の夜に、
「満月を見ると 智恵子が戻ってくる気がする」
という短い言葉を、手帳に書き残している。

光太郎は私の生まれた年の5月15日に、他界している。
弔辞を梅原龍三郎が読んだ。

美術界の重鎮でありながら、
最後まで素朴に深く自分を見つめつづけた光太郎が、
私は好きだ。



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