鎌倉幕府御家人の造像  乱 2005.6.21

数年前に一回 今年になって何かのご縁で山本勉さんの講演を三回も聞くことができました
私なりに 慶派の社会的な立場についてわかったことを 今回の山本さんの講演を中心にまとめてみました

昨年の山本さんの論文もご紹介します 新発見の大日如来像と運慶 


去年 山本先生は 小さな大日如来を運慶作であると発表なさった これまでにも 光得寺にある大日如来を運慶作であると検証したり とても運慶にかかわりの深い先生だ 運慶との出会いは 円成寺の大日如来だったと聞く 25年の間に東京博物館の研究員・研究室長を経て  今年清泉女子大学の教授になられた 以後 運慶の山本先生として業界では名を残す方だと思う 最近になって塩沢寛樹という方が  頼朝と成朝運慶の関係について論文を出されたそうだが 先日の講演で そのことに言及してしっかり論破していた 運慶の父康慶と兄弟弟子にあたる成朝という仏師は 定朝の直系である 氏にこだわった頼朝は 腕の立つ康慶でなく成朝を鎌倉に呼び寄せて 勝長寿院の丈六の阿弥陀を作像させる(現存していない) 和田氏や北条氏は 頼朝に遠慮をして成朝に作像を依頼せず 運慶に依頼をしたのではないかというのが 塩沢氏の意見であった しかし どういうわけか成朝はその後 鎌倉でも奈良でもあまり活躍しない 成朝が丈六仏を作っている同時期 運慶も共に鎌倉にくだり 頼朝の御家人和田氏(浄楽寺)や北条氏(願成就院)のために多くの仏像を作っている そういう事象をあわせ考えると 御家人たちは取り立てて頼朝に遠慮したのではなく すでに 名声を有しつつあった慶派を起用したというだけのことだと 山本勉さんは解説された 頼朝は直系血族を重んじたために成朝を起用したが それはただ頼朝好みなだけだというのだ 運慶や成朝の東国くだりの10年近く前  運慶の父康慶は東国にて 瑞林院の地蔵菩薩を作像をしている 康慶は仏師としての腕も立派だったけれど時代を読む才にも長けていて 武士の時代が来ることを予見し 東国での活動の場を確保していたのであった 瑞林院の地蔵菩薩が康慶によって作られる一年前 父である康慶の指導の下 運慶は円成寺の大日如来を作っている おそらく父は息子の非凡な才能を見出したからこそ 作像隆盛の期に乗じ 自ら仏師集団を構成し  息子をはじめ多くの弟子の活動の場を 鎌倉と奈良の両地に求めたのであった 成朝に先立つこのような康慶の活動を考えれば 私は山本さんの意見に軍配があるように感じられる 東大寺の再建 武士の台頭 非凡な仏師運慶の登場  この三点の交差するところに 慶派は誕生し その中心に 東大寺南大門の仁王像は立っているのである