プラド美術館展  乱 雑記

春みたいな陽気の冬の終わりの一日、おもいたって、上野のプラド美術館展に行ってきました。
その昔、一回だけ行ったことのある美術館、あの時に感激を受けたエルグレコに会うのが楽しみでした。
あの時は、とてもきれいに見えたけれど、今回はなんだか寂しい感じがして、あまりきれいに見えませんでした。
見ること感じること・・・年齢によって ずいぶんと受取り方がちがってくるのだなと思いました。
一人で見に行ってよかったとおもったのは、常設展のほうを何回も出入りしてしまったことでした。
もうOKとおもって出るのに、また、あれを見落としたと思って再入館しました。
前は気がつかなかったけれど、フュースリーの大きな絵とロセッティのいかにも彼らしい絵が、印象に残りました。
大嫌いなモネの「黄色いアイリス」は めっけものでした。あれはいい。モネの甘っちょろい感じがなくて凛とした絵でした。


以下 プラド美術館展のちょっと気になった絵の雑感です。

農園のキリスト・・・ティツィアーノ

「われに触れるな」
そういっているのは ティツィアーノの描いた「農園のキリスト」だ
上半身のとてもりりしいキリストで 青がとても鮮烈だ
横のキャプションに 元絵の白黒のコピーと少しの説明があった
われに触れるな・・そう言って凛と立つキリストの足元で
訴えかけるように見上げるマグダラのマリア
それが元の絵だった
1566年 スペインの王フェリペ2世の命により 裁断されたらしい
テツィアーノの有名な「懺悔するマリア」は ほんとうにつらそうな顔をしている
あれはもしかしたら 懺悔というよりも キリストに対する想いなのかもしれない

キリストとキレネ人・・・ティツィアーノ

ティツィアーノには いくつかの磔刑のイエスの図がある
今回の「キリストとキレネ人」が それに当たる
1999年にも一回 このテーマの絵がロシアエルミタージュから来ていた
それは 完全にキリストの顔のアップであった
他人の哀れみとかを介さない 全くの彼の孤独が描かれていた
あれを見て ティツィアーノが好きになった
キリストをあそこまで人間的に描いている絵をはじめてみた気がしたからだ
マリアはイエスと一緒に 心の中で十字架を背負っていたのかもしれない

聖フランチェスコ・・・エル グレコ

彼の絵は 上昇するような色使いと筆のタッチが魅力だが
この絵はとても細やかなタッチで描かれていて 静かな空気が流れていた
指が異様にきれいだった 
頭蓋骨を扱っているのに メメントモリ的なお仕着せがましい教訓は感じられない
フランチェスコのやさしさが とても気持ちよく心の中に入ってくる
下のほうに おそらく本人のサインだと思うけれど 
ピンで刺したようなメモが描かれてあったのが ほほえましかった
暖かい感じのする絵だった

無原罪の御宿りのマリア・・・ムリーリョ

ミサの後やクリスマス会の後に いつもきれいな御影をもらった
たいていはきれいなマリアさまか かわいい天使か 幼きイエスの絵がかかれていた
本当に汚れがなくてきれいで しわくちゃになるまで定期などに入れていた
小学校の頃だろうか・・
今回見たムリーリョの絵は みんなそんな小さいときの記憶の中にあった絵とかさなった

キリスト教は マリア信仰だ
無原罪のマリア その慈悲によってのみ私たちは救われる
その対岸にいるのが マグダラのマリアだ
どうしても 明るいきれいなマリアの陰に隠れてしまうけれども
それでもマグダラのマリアが人気があるのは 
清廉潔白 無原罪なんてありえないことを 皆が知っているからだ

我が子を喰らうサトゥルヌス・・・ルーベンス

ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」は有名だが
ルーベンスのは 有名だったのか・・私は今回はじめて知った絵だった
解説書によると このサトゥルヌスは
ミケランジェロの最後の審判の中の聖バルトロメウスの模写を元にしているとのことだ
たしかにポーズは似ているが ルーベンスのサトゥルヌスは 迫力に欠けている
この絵でどうしても目に付くのは 食べられている子どもの表情だ

この絵を見たときに 真っ先に思い出したのが ラファエルの「キリストの変容」だった
あの絵の右下にいる 気のふれた少年 ・・・ その表情にそっくりなのだ
解説書を見て ルーベンスは模写をたくさんしていたということだから
おそらく ラファエルのあの少年も描いていたに違いないと かってに思うことにした
ラファエルの絵は 美しいばかりで
どうしてあの少年をあそこに描かなければいけないか わたしには 理解できていない

ルーベンスの「我が子を喰らうサトゥルヌス」を逆さにしてみると
子どもの顔は ゴヤのサトゥルヌスの顔と似ていることがわかる
きっと ゴヤはルーベンスの絵を逆さにしてみたんだと 私はかってに思うことにした
ラファエルの描きたかった狂気 ミケランジェロの描きたかった果てしない力
それらをルーベンスはつなぎ合わせて 心の闇を描きたかったのかななどと思う
そして ゴヤはそれらを もっとおそろしいどん底の暗闇に描いた

ゴヤの子どもも 狂っていたのかな
もう顔を食べられてしまっているから 表情は闇の中だ


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