静岡県立美術館 虹 雑記


私が五年前に学芸員の勉強をしていた時に、博物館学に講義をしてくれたのが、この美術館の学芸員だった人だった。
バブル景気にうかれて、行政が美術関係に投入した多額のお金で建てられた美術館は多い。ここもそのひとつだった。
当時は、学芸員の望むことが許され認められて、彼らの望む形の美術館が生まれた。
静岡県美は、館内すべてスロープがあり、身体障害のある方たちも利用しやすくした美術館だ。
そして、ロダンの作品を触れる美術館というのが売りだった。
彼女の学芸員プロとしての話は、非常に面白かったし、当館を愛していることがよくわかった。
学芸員とは美術作品に対する自分の理解に責任を持ち、プレゼンテイションできる者のこと言っていた。
見る者と見られる物(つまり作家)をつなぐのが学芸員、その三者があってこそ存在するそ美術館・・・・。
悲しいかな、日本の美術館における学芸員の存在のうすさはいかんともしがたい。
(本人達がザツゲイインというほど雑用に忙殺される毎日らしい。)
私は資格をとっただけで、学芸員として働いてなんかはいないけれど、
美術品(作家)に対する尊敬の気持ちなど、大事なことをたくさん学んだ。

彼女達の作ろうとしていた「あるべき姿の美術館」はあるのだろうか。それを知りたかった。
バブル期が終わって久しい今、美術館の存続は岐路にきている。
だからこそ今、いろいろなことを確かめたくて、いつかは行ってみたいと思っていた美術館だった。

富士山が借景となっているエントランスでは、あいにくの天気で、富士の姿は見えなかった。
内部も敷地が広いせいか、ゆったりとしたつくりで、天井もひろく気持ちよかった。
特別展「トルコ展」をやっていて、土曜日ということもあり、ちょっと混雑していた。
連れは美術にあまり興味がないので、あまり時間を取れない。
常設、つまりこの美術館の目玉のロダンウィングだけ見ることにした。
なかにはいってすぐ「さわってはいけません」という文字が目に入った・・・ショックだった。
来る側に問題があったのか、美術館の都合なのか。知りたかったが、受付で聞く勇気がなかった。
私は後者のような気がしてならなかった。
でも、今は三人の主任学芸員お勧めの所蔵品が飾られていたり、その存在を感じられたのはよかったと思う。
また、彫刻についていえば、キャプションが作品の後ろについていて。
まず見るものの感性で感じるようになっているのが面白かった。
ナニコレ?と思ってみて、その後題名をみると、もう一回作品に向かう気持ちになれた。
はじめから題を知っていたら、その中でしか見ることができない(一概には言えないけれど)。
ロダンウィングの室内構成は、やはりおもったとおり非常によかった。
内部の人の話を前もって知っていたせいかもしれないけれど、随所に見せる側の眼を感じることができた。
ほかの美術館よりも、そういった意味では、学芸員の存在があったと思った。

などと考えながら見ていたら、いつしかロダンに吸い込まれていた。
ロダンの彫刻の手足の大きさに驚かされた。肉体の表現方法が著しく異様だ。
写実に忠実でありながら、誇張はなはだしく、しかも美しかった。

「裸のバルザック」という作品にくぎ付けになった。
首がないかっちりした胴体に、体のわりには短く太いすねと、やけに肉厚な足が大地を踏みしめている。
両の腕は隆々というよりも複雑にねじれた筋肉を持っている。
よく見ないとわからないが、その右手は包むように力強く自らの男根を握っている。
すべてをさらけ出すことなく、なおかつ、さわやかに、力強く、圧倒的なすべての力を渾身に込めて立っている。
ミケランジェロの彫刻が大好きだが、このへんの表現はあまり好きでなかった。
というよりも、どの男根の表現は、いかにもちゃっちかったり、変に卑猥を隠したり、好きではなかった。
だが「裸のバルザック」のそれは、恥ずかしいところなどひとつもなく太陽に向けて、エロスとは生命そのものだと、謳いあげている。
シーレが闇の中で光らせたものを、彼は白日のもとにさらけ出した。

やっぱり彫刻はいい。存在感があって、おっきくて温かみがある。やっぱり好きだ。
それにしてもロダンの扱うテーマって暗いのに、なんであんなに明るく躍動感に満ちているんだ?!?!?!?!?!?

また、ロダンにあいに行こう。


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