美しさは祈りの中に

千手観音

よく考えてみると おそろしい様相だ
手が1000本もついている
ついているというよりも 生えているという感じがする



 



なんでこんなに手があるのかといえば それは 現世利益 救済のためである
千は 無数に通じ その手にいろいろな宝物をもち
あらゆる手段で 私たちを極楽に導いてくれる観音であるとされた












救済の仏として人気のある千手観音は 各地に多くあります
でも たいていの仏像は 腕の本数は42本に省略されています
作るのに難しい・・ということもあったでしょう
胸の前で手を組んでいる真手が2本と 1本の腕が25本分の役割をするとされる40本
この合計42本で 千を表したのです

本当に千本の腕を持っている像はたしか国内に3点だけです
そのうちの一つが わたしの好きなこの唐招提寺の千手観音なのです

この千手観音は お堂の屋根に届かんばかりに大きく 堂々としています
まさに 千の手が 光背のように広がって 私たちを包み込んでくれるようです

42本よりも やはり 1000本の方が圧倒的な迫力があります






井上靖の「天平の甍」ででも 有名になった唐招提寺の金堂です
この中央に千手観音は安置されています・・・が
今 このお堂は 平成の大修復という事で 覆いがかぶされて 拝観することができません
また この薫風吹き降ろす甍に会えるのは 十年後です
当然 御仏たちも それまで 講堂 でおやすみされています






虚と実 について

仏像には 虚と実 があるとされています
難しい理屈は わかりませんが 見た感じでわかります
細かいことを言えば 「虚」の仏像は 平安末期の定朝の作り出したものが出発点ですが
生命感あふれるものが「実」であり どことなく頼りなげな つかみ所のないものが「虚」であると分けられます
飛鳥時代のアーカイックスマイルをたたえた 仏像たちは おそらく「虚」にはいります
天平時代の堂々とした仏像たちは「実」にはいります

虚であるか実であるかは 時代背景が大きく関係します
定朝が藤原氏に依頼されて仏像を作った時代は 末法思想などがはやり
死後の世界の浄土を懇願するなど 厭世的な風潮があったりするからです
でも 私は 作る側の感性によっても ちがってくるのではないかと思っています

「生」を感じて作られたもの それはこちらに向かってきます
ゴッホしかり ミケランジェロしかり です
「死」を感じてつくられたもの それは こちらを引きずり込んでいきます
セザンヌしかり ダ ビンチしかりです
仏像で言えば 前者が定朝で 後者が運慶です

虚と実を考えながら 仏像を見たり 絵を見たりすると
私は 今までと違ったものが見えてくる気がするのです
そして 祈りは美しさの中に…
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