雪村展 乱 雑記


まず、図録がずぬけていい。
まったく堅苦しくない。知識のひけらかしがない。
雪村を楽しむためにこの展覧会が企画されたことが、いい感じで伝わってくる。
美術展・美術館が、作品と見る人をつなげるものだとしたら、決して難しい知識だけが必要なのではない。

今回の雪村展は千葉市美術館 松涛美術館 山口県立美術館 福島県立博物館と巡回するが、
日程が、東京博物館で開催されている雪舟展に意図的に重ねあわされている。
雪舟と雪村、水墨画の代名詞のような二人の区別は、私のような素人にはつきにくい。
何を見てもみんないっしょにみえるからなぁ・・なんて 私はつい思ってしまう。
ふつうの人でも、水墨画がわかるように、楽しんでもらえたら・・・・・・・・。
そんな思いが伝わってくるこの展覧会は、総監修山本裕二氏の雪村への愛で支えられている。
雪舟が都会の優等生だとしたら、雪村は朴訥な画学生
権力に迎合したのが雪舟なら、欲得抜きで描きつづけたのが雪村
そういった姿を浮き彫りにしている図録の中に、山本氏の視点がどこにあるのか見えてくる。
水墨画は、模写が多くなされているため、実際の雪村真筆かどうか疑われている作品がたくさんあるらしい。
今回は、真偽をとわず、「雪村」流の絵を一堂に会しているところも面白い。
誰が描こうといいものはいい! そういった姿勢も伺える展覧会なのだ。
「本物以外は認めません」って、誰が本物と認定するのか・・・、そういったものへの批判も込められている。

そして、雪舟と雪村を対比させたり、真偽織り交ぜた展示にした真意は実は今の美術界への警鐘でもあるのかなと、ふと思う。


さて、絵だ(ん?画?)
何点かは彼の落款があり、真筆であることがわかる。
(私は見る目をもっていないのだけれど)、やはり描き方が特異であることが見て取れる。
構図のおもしろさや一息で描いている感じが、大胆かつ斬新である。
墨絵は、西洋の油のように描き直しなどができないから、一発勝負だ。
山水画(風景画)は、いかにも写実のようでありながら、実は瞬時にとらえた作者の頭の中の景色なのだ。
その瞬時の捉え方が、それまでの水墨画の伝承技法とは異なるのが雪村の画なのであるらしい。
私が見た限りでは、外隅(そとくま)の技法がとてもきれいだった。
外隅というのは、塗り残すことで雪や光をあらわす技法だ。
つまり、夜空を暗く描くことで、丸く塗り残したところを月に見立てるような感じ。
その表現が実にきれいなのだ。
雪は雪のように白く輝いて見え、白鷺は青い空に飛んでいるようにみえるのだ。
おそらく瞬時に感じた彼の感動が、そのまま画面に描かれているから、見るものに伝わってくるのだと思う。

ギャラリートークという学芸員による説明を聞けたので、とても楽しく観ることができた。
水墨画はまったく知識がない、そんな私のも楽しめる話ばかりだった。

ふと時代を見ると・・1500年代・・そっか ルネサンス盛期あたりかな・・
ずいぶんちがうな。
かたや遠近法や色で忠実に三次元を平面に閉じ込めようとした。
かたや単色と感性で平面に三次元をおよがせた。
日本の絵のほうが、ものすごくスケールが大きい。
写実なんかふっとんだところで、野山や宇宙を駆け回っている気がする。
私には そんな感じがするけど・・・・

そして水墨画の後ろにあるのは、やっぱり禅の精神世界なのかな〜 まだわかんないなぁ



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