ウィーン美術史美術館名品展 乱 雑記

小雨の降る中、上野の森をぬけて藝大美術館にたどり着いた。わかりにくい場所だ。
でも、帰りは一直線に博物館前をとおって 線路の手前を右に曲がった。
上野公園の道がくねっているのと、道標がよくない。

今回、超個人的にいっちゃたのは、ルーベンスの「メデューサの首」だ。
今までに知っているルーベンスとは程遠い、鮮明な画面の絵だ。
鮮明の中にあるものは、おどろどろしさ。
あの切り口は、実際に見なければ描けないだろうと思うくらいリアルである。
鮮血は、すぐさま蛇に変容し、髪をなす蛇は互いに罵り合っている。
双頭の蛇、さそり、蜘蛛、どれもがメデューサの怨念をかたちどっている。
メデューサの首は切り取られても、まだその目は閃光をはなって、
見つめられているわけではないのに、私はすっかり石になってしまった。 いやすごい絵だ。 

首といえば、サロメがいた。「サロメと洗礼者ヨハネの首」である。
実にかわいいサロメだ。手はまだ赤ちゃんの手のようにふっくらしていて、
まとっている洋服も、かわいい髪飾りも、彼女が少女であることを物語っている。
サロメといえば、腰をくねらせ妖気を放つものが定番だが、
きっと、聖書に基づけば、この絵のように首に戸惑いを感じる図のほうがあっている。

やはり、ティティァンはすごいなとおもった。「法王パルス3世」ルパン3世ではない。
こんな簡素な画面構成の中で、これほどまでに内面を描き出している絵を見たことがない。
あるとすれば、同じ画家の「十字架を背負うキリスト」だ。
簡素に見えて、計算し尽くされた構図なのだろう。その内に感情を込めていく。
凡人には計り知れない。天才だ。ほんとうにパルス3世がいるような感じだ。
ものすごい密度の絵だった。ぎっしり画面に感情が詰まっている感じだ。
ルーベンスとかファンダイクなどは、ティティァンを超えられない。どう見ても真似だ。
それは形だけの真似で、内的な表現はどうしたって個人のものだから真似できなし、超えられない。
こういう感想を、えこひいきという。

ティティァンが内に向かう天才なら、カラヴァッジョは外に向かう天才だ。
今回の絵は、ちょっと主題が見えない。
キリストの苦悩なのか、周りの嘲笑なのか、見えてこない。
その物足りなさが、本人の筆かどうかを問うわれた要因なのかなと思う。
キリストがやけに沈んでいて、まわりの動きだけがやけにうるさい。
でも額がすごい。カラヴァッジョの絵でなければつけられない額だ。
画面から飛び出してくる空気を、この額が食い止めているような感じがした。
隣で見ていた、若い二人の女性も「やっぱすごいわ」と話していた。
相変わらず白を大胆に置いてしまうところがすごい。
羽の白と、光を表す白がぜんぜん違う。
光が画面に溶け込んでいない、そこがすごい。

すごいけれど、今回は隣にあった、カラヴァジェスキのジェンティレスキの絵のほうがよかった。
マリアがとてもきれいだった。ふつうの若いきれいなおかあさん。
投げ出された足がやけになまなましくて、どきりとしてしまった。きれいな絵だ。
この絵は、私のお気に入り棚にはいりそうだ。

ブリューゲルといえば、北方の人が有名だけれど、今回見たのはもうひとりの「花のブリューゲル」。
こんなにきれいな、花の絵を見たことがない。アイリスがきれいだった。
ところで、この系統の花の絵は、宗教画なんでしょうか・・。
偶像崇拝を禁じる宗派の人が、花や魚をマリアやキリストになぞらえて描いた・・
そういう話は、この絵も当てはまる話なのでしょうか。何方か教えてください。
ナンタラ展に行って、飾りたいと思う絵は少ないのだけれど、この絵はほしくなった。
自分の部屋・・というものがあったら飾りたい。
図録を買って、どきどきしてそのページにたどりついたけれど、
あまりに平坦で、うすっぺらでがっかりしてしまった。

いろいろな有名な画家の絵が ちりばめられていて楽しい展覧会だった。






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